なぜ、刑事ドラマはおもしろいのか。

NAZEDEKA。刑事ドラマを専門に「映画・テレビドラマ」の研究をしています。

狼の紋章

          f:id:NAZEDEKA:20210812181935j:plain

基本データ

タイトル:狼の紋章
公開日:1973年9月1日
上映時間:78分
監督:松本正志
脚本:石森史郎福田純、松本正志
原作:平井和正「狼の紋章」
出演者:志垣太郎、安芸晶子、松田優作、伊藤敏孝、黒沢年男、加藤小代子、今西正男、本田みちこ、河村弘二

概要

狼男の高校生がいじめに耐え抜くも狼の道に生きる物語です。不良たちとの闘いと母への愛を描く作品となっています。また、本作が映画デビューとなる松田優作さんにも注目です。

解説

・ヒューマン

        f:id:NAZEDEKA:20210813135103j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210813135133j:plain

        f:id:NAZEDEKA:20210813135159j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210813135225j:plain

本作のヒューマンは「犬神と人間」がメインです。
悪辣非道な人間と一途な愛を守る犬神が描写されています。

豆知識(ネタバレ注意)

・マスクは本物!?

        f:id:NAZEDEKA:20210813122651j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210813123556j:plain

劇中、犬神が狼男に変身した際のマスクは、本物のシベリアオオカミの毛を使い作られました。

・アラスカ&集会場

        f:id:NAZEDEKA:20210813121537j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210813121647j:plain

劇中、犬神と両親のいたアラスカは、福島県中部にある「安達太良山」で撮影されました。また、生徒集会を開いた場所は、東京都荒川区南千住にあった「東京スタジアム」です。「東京スタジアム」は本作公開1年前の1972年に閉場し、1977年に解体されました。現在、跡地は「荒川総合スポーツセンター」となっています。

・狼のエンブレム!?

               f:id:NAZEDEKA:20210813114518j:plain

タイトルの「紋章」は「もんしょう」と読みますが、原作であるハヤカワSF文庫版は「エンブレム」と読みます。また、原作「狼の紋章」は文庫本書き下ろし小説の初作品です。

・こっち側の人間

        f:id:NAZEDEKA:20210813124637j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210813125024j:plain

本作撮影中の飲み会で、志垣太郎さんは松田優作さんから「志垣ちゃんは、こっち側の人間だよな」と言われたそうです。志垣さんはその言葉を聞いたとき、僕を近い存在だと感じてくれているようで、うれしい気持ちになったとのことです。

・「ウルフガイ 燃えろ狼男」

本作公開2年後の1975年4月5日に、映画「ウルフガイ 燃えろ狼男」が公開されています。この作品は原作のシリーズが異なるため、本作の続編ではありません。そのため、千葉真一さん演じる犬神明が登場しますが、本作とは設定が異なります。

収録ソフト

・単品

 

絶対考察(ネタバレ注意)

 狼の紋章、狼男の紋章は月であるか。しかし、犬神にとっての紋章は母である。目の前で惨殺された母。ふきでる鮮血。犬神は狼の遠吠えのように叫んだ。
 高校生になった犬神は叫ばない。何度リンチにあおうと。強がりではない。ただ、人とかかわりたくないだけ。だが、強引にでもかかわろうとする男女がいる。青鹿と羽黒だ。
 青鹿は犬神の部屋に入る。部屋は草原が広がっていた。草原でじゃれる犬神は子どものようでもあり狼のようでもある。マスクがとれない。リンチより青鹿の方がこわいと犬神。マスクがとれないのは青鹿の方かもしれない。
 犬神につきまとう男は羽黒。羽黒は自尊心が強い。自らは手をくださず、犬神がやる気になるのを待っている。犬神にやる気などない。犬神の背に「犬」と刻んだ羽黒たちこそ気が狂った犬だと犬神は非難する。街中を走り叫ぶ犬神。子どもの頃を思いおこす。狼たちがハンターに撃ち殺された。今、大都会で犬神がハンティングされている。人間という名の地上最悪の動物に。目にした授乳に母を想う。
 やる気になったのは優等生たちである。「学園暴力追放」運動。犬神は屋上で逆立ちをする。逆さに見える景色。生徒会は集会を開く。紀子は叫ぶ。不良や犬神はエゴイストであると。しかし、暴力の民主化を推し進める紀子たちもまたエゴイストである。エゴイストは生徒だけではない。犬神の叔母の寄付金目当ての校長も同等である。逆さに見えたのは景色だけではなかったようだ。エゴイストたちの乱闘騒ぎの結末は黒田の死であった。
 黒田の死後、新月が訪れる。神が青鹿に告げる。羽黒は新月を待っていたと。羽黒に近づかないでと書き置きした青鹿が羽黒に近づいてしまう。武雄は椿の手入れをしている。青鹿を犯す羽黒。鹿の置物が赤くなる。青鹿は色をつけられてしまった。
 ヘヤピンに青鹿とのつながりを思う犬神。つながりは神ともあった。狼というつながり。だが、神は犬神が人間になってしまったと責めたてる。「犬」のある犬神が人間となり、「犬」のない神が狼の道をゆく。一人でそっと生きたかったと犬神。それは、狼としてか、人間としてか。
 犬神の前に羽黒が立ちはだかる。まっさらなところにたっぷりとぶちこんでやったと、ぬけぬけと言いきる羽黒。それは雪山に母の鮮血が飛び散ったようである。青鹿の眼に月をみた。狼男に変身し羽黒は死ぬ。
 青鹿の前に武雄と組員が立ちはだかる。リンチをうける青鹿。椿の花言葉は「謙虚な美徳」。武雄たちは羽黒の手入れどころか、自らの手入れすらできていない。人間は外道だと犬神は母に叫ぶ。再び狼となり、武雄と組員を殺す。遠吠えがこだまする。母に青鹿をみた。
 東明會の紋章が燃える。雪がふりそそぐ。人間の世界で生きていけなかった犬神。わたしも狼になりたいと青鹿。思えば青鹿は犬神をはじめてみたとき花畑にいた。犬神のもとへむかう道には無数のライトがあった。青鹿は人間の世界から狼の世界にいくのではなく狼の世界に帰ってゆくのかもしれない。