なぜ、刑事ドラマはおもしろいのか。

NAZEDEKA。刑事ドラマを専門に「映画・テレビドラマ」の研究をしています。

泣かせるぜ

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基本データ

タイトル:泣かせるぜ
公開日:1965年9月18日
上映時間:93分
監督:松尾昭典
脚本:小川英、中西隆三
原作:新羽精之「海賊船」
出演者:石原裕次郎浅丘ルリ子、渡哲也、大坂志郎川地民夫花沢徳衛名古屋章、太田雅子

概要

荒くれ者を率いる船長が愛する人を残し、陰謀うずまく航海へ出航する物語です。見かけによらない人の有様を描く作品となっています。また、本作が初共演となる石原裕次郎さんと渡哲也さんにも注目です。

解説

・ヒューマン

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本作のヒューマンは「白と黒」がメインです。
対照的な白河丸と黒潮丸の船員たち。彼らと彼らを取り巻く人々の見かけではおしはかれない姿が描写されています。

豆知識(ネタバレ注意)

清水みなと祭り&次郎長道中

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劇中、執り行われている祭りは実際の「清水みなと祭り」です。この祭りは、1947年に初開催され現在も行われています。祭りの花形は、1951年に初登場した「次郎長道中」です。

・「愛して愛して愛しちゃったのよ」

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劇中、けんか騒ぎのおきる酒場のBGMは、和田弘とマヒナスターズ&田代美代子さんの楽曲「愛して愛して愛しちゃったのよ」です。本作公開3ヶ月前の1965年6月にリリースされました。

・初共演!

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本作は石原裕次郎さんと渡哲也さんの初共演作です。ハイライトである甲板の格闘シーンは技斗師を参加させず、二人に任せて撮影したそうです。

収録ソフト

・単品

 

絶対考察(ネタバレ注意)

 泣かせるぜ、泣かせてくれるのは女だけではない。男も海も、そして船もだ。何であれ、泣かせられたときに流す涙は純粋である。海の男にとっては純水とも言えるだろう。しかし、海の男が皆純粋だとは限らない。それは見かけではわからないのだ。
 白石は模範船長である山路を尊敬し、自らの仕事に誇りをもっている。その誇りの象徴は「白」である。白石、白河丸、白い制服。「白」に取り巻かれる彼は、文字通りの潔白を自負している。それがゆえ、響をはじめとする第五黒潮丸の船員たちが気に食わない。日焼けした肌、黒潮丸、汚い格好。自分とは対照的に「黒」に取り巻かれる彼らを嫌悪する。それは船主の渋川も同じである。渡された海難報告書を信用できないと突っぱねる。そう、彼らには信用がないのだ。響はレコードの腕だけではなく、船も、船員の仕事も、信用も断ち切ってしまった。しかし、断ち切れない人が一人いる。千加である。
 響と千加は互いに、変わった、拒んだと言いあう。どちらが「白」で「黒」なのか。一人で決めてしまう男がいる。白石だ。白石は千加の事となると盲目になる。山路と話を終えた千加を問いただすが、太鼓の音は耳に入らない。レコードの耳に祭りばやしが入らなかったように。
 祭りの空の下、たがいに空寝をする響と源爺。胸の内を明かそうとしない。眠気を覚ます叫び声が響く。松吉の死。そして、白河丸も死へ出航する。
 模範船長は事故を起こさない。問題は「事故」の中身である。中身といえば、ウイスキーが水に、他の積み荷も砂だった。雲行きが怪しくなり、台風が襲来する。台風がもたらしたのは暴風雨だけでなく、けんか騒ぎに火もつけた。響と山路は互いに、狂ったと言いあう。「白」と「黒」の攻防。その戦いは甲板へと移る。海や船のように荒れ狂う響と白石。直後、けんか騒ぎの火が積み荷に移る。白河丸は黒い海に沈んでゆく。
 ポパイのパイプは戻ったが響は戻らない。千加は自らが「黒」であったことを悟る。壁の染みのように汚い格好をした響を拒み、純白な思い出の絵で隠したのは心だったのだ。それは同時に、沈没船長と揶揄される響の心も沈めてしまっていた。
 生還した響は兵頭にあう。猫をかぶっていた兵頭の化けの皮をはがし、詐欺グループの隠れ家へ向かう。トラックで破ったのは扉だけではない。響の生還を絶望視していた船員たちのわだかまりも突き破った。響は山路と対峙する。山路は模範船長が虚名であったと悟る。ウイスキーの中身がただの水だったように。それは純水ではなく濁った水である。純粋になれなかった山路。見かけを信じていた白石こそ純粋であった。山路はよごれた水路で事切れる。彼は死をもって純粋さを取り戻したのかもしれない。けがれのない純水のなかで死ねたのだから。
 山路は、見かけは「白」でも中身は「黒」。響は、見かけは「黒」でも中身は「白」であった。人は見かけによらない。それは、みな互い違いであり、人を格子ごしに見るようなものである。留置場とサルビアの格子ごしに見える黒潮丸の船員たち。同じ格子ごしでも中身は囚われの場と憩いの場である。響はその格子を斧で断ち切り、白日の下にさらした。流れでるものが、鮮血か、ただの水であるのかを。
 第六黒潮丸が出航準備をする。日焼けし、タンクトップ姿の白石。中身は「白」でも見かけは「黒」の男になった。響に腕時計が戻る。再び時を刻むのは響と千加の時間である。二人の人生は第六黒潮丸とともに、今こそ出航のときを迎えたのだ。