なぜ、刑事ドラマはおもしろいのか。

NAZEDEKA。刑事ドラマを専門に「映画・テレビドラマ」の研究をしています。

大都会 -闘いの日々- 第3話 身がわり

          f:id:NAZEDEKA:20210914150924j:plain

基本データ

メインタイトル:大都会 -闘いの日々-
話数:第3話
サブタイトル:身がわり
放送日:1976年1月20日(火)
監督:降旗康男(初)
脚本:斎藤憐(初)
ゲスト:渡辺篤史、西尾三枝子、深江章喜
主役:黒岩(2)
準主役:滝川(初)

概要

サブタイトルは「身がわり」。
降旗康男初監督、斎藤憐初脚本作。
滝川初準主役作。
恵子未登場作。

身がわり出頭したヤクザが、身がわった男の娘を誘拐する物語です。組織に翻弄される下っぱを描く作品となっています。また、丸さんの警察論にも注目です。

解説

・ヒューマン

        f:id:NAZEDEKA:20210929164821j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210929164957j:plain

本作のヒューマンは「下っぱ」がメインです。
下っぱヤクザ、下っぱ刑事、下っぱ記者。かなしい身がわりとなる組織の下っぱが描写されています。

豆知識(ネタバレ注意)

・「彼」

        f:id:NAZEDEKA:20210929162337j:plain     f:id:NAZEDEKA:20210929162418j:plain

劇中、直子の言う「彼」とは、第2話「直子」に登場した伊吹吾郎さん演じる久光のことです。

・「笑って許して」

               f:id:NAZEDEKA:20210929161108j:plain

劇中、渡辺篤史さん演じる森田がレコードをかけます。この曲は、和田アキ子さんの「笑って許して」(1970年3月25日リリース)です。

・「日本任侠道 激突篇」

               f:id:NAZEDEKA:20210929155808j:plain

劇中、飯場に映画ポスターがあります。これは、高倉健さん主演映画「日本任侠道 激突篇」(1975年1月15日公開)のポスターです。この作品には、渡哲也さんの実弟である渡瀬恒彦さんが出演しています。

収録ソフト

・BOX

 

絶対考察(ネタバレ注意)

 身がわり出頭するのは下っぱヤクザの役目である。しかし、その身がわりが意味のない身がわりだったら。長い時間を意味なくすごしたら。それが下っぱの宿命なのだろうか。
 下っぱヤクザの森田は身がわった男の娘を誘拐する。要求は5年という時間だ。だが、時間はもどらない。かわりに金を要求する。その金でこれからの時間を有意義にすごしたい。きたない国から出ていきたいと。
 きたない国を守るのは警察である。警察はゴミ箱のふただと丸山。ふたがなけりゃ世の中くさくてたまらないと。だが、無理矢理そのふたを閉めさせられるのは下っぱ刑事の役目だ。
 黒岩たちは森田を張りこむ。森田とカオリがいるのはヌードポスターに囲まれた飯場の中。お嬢さんにはもっとも似つかわしくない場所である。森田にとっては飯場も組も同じようなものだ。ふたをされ組織のために働く。自分では考えず、上の言いなり。ワイヤレスで聞いていた黒岩は自分も同じだとふける。ヤクザの下っぱも刑事の下っぱも同じ。一刻もはやく人質を救出したいが、上の指示がないと動けない。指示は無線機からながれでるが、感情のない無線機自身が指示をだしているようだ。
 森田は父親の話をする。親父は言っていた。お国のためと。やかんも火鉢も片足も持っていかれて、お国はなんにもしてくれない。誰も責任をとらない。組も国も同じ。それは警察も新聞も同じである。
 膠着状態が続くなか、ハーモニカの演奏会がはじまる。チェロの低く荘重な音色とは対照的な音がながれでる。だが、事件にかかわる人々がいるどの場所よりも楽しく、ストーブや熱いお茶よりも暖かい。
 身体を熱くして寒い街を駆けずりまわるのは倉石だ。サチコのコートを買ったときのように何軒も店をまわり、森田の親父のような油気のなくなった靴で飯場に現れる。深町が引きのばした時間よりも長い十秒がはじまる。が、それはサチコの命の時間ではなく森田の残り時間であった。「お父さん」と声をかけられ振りかえるが、振りかえったのは父ではなく人殺しだった。
 森田は父親も持っていかれなかった命をとられた。が、誰も責任はとらない。九条の質問に「いいえ」と答えるサチコ。退出を命じられ、チェロを持ち立ちさる。持っているのはチェロケースではなく森田の墓標かもしれない。サチコを見つめ、無意味な一夜をふける滝川と九条。滝川は手袋を渡せず、黒岩は直子に会えなかった。森田の5年にくらべれば短い一夜だっただろうか。その答えは組織論にむかう。下っぱは組織の身がわり。記事には「恐怖の一夜」。束になった人間は恐怖であるが、サチコは恐怖でなかった。組織は答えをださないが、サチコは「いいえ」と答えた。かなしい下っぱをすくってくれる「いいえ」であったと、黒岩も滝川も九条も信じたい。
 黒岩は直子を目にする。直子は言っていた、いつ雨は上がるのかと。事件が解決しても皆の心に雨は降りつづいている。けれど、黒岩は直子を目にした瞬間、雨が上がったのだ。雨にぬれ冷えた心を包みこんでくれる手袋のような直子。滝川は手袋をプレゼントするが、黒岩は手袋をプレゼントされたのだ。